武士道から考える個性。即ち孤高の精神。
個性的な人って周りに一人はいますよね。
けど個性ってなに?って思う時ありますよね。
個性とは?
そんな素朴な疑問を深く掘り下げていきます。
少数派だから個性的なのか。
見た目が派手だから個性的なのか。
いやはや難しくて自分では分からないので、
新渡戸稲造の『武士道』を参考に個性について考えていきます。
世界には様々な宗教があり、その宗教に従い生きている人が多くいます。
幼少期に宗教から道徳や倫理観、正義まで、色々な事を学び大人になるわけです。
しかし日本には宗教という宗教がない。
なのに何故日本人は道徳観や倫理観を持ち合わせているのか。
新渡戸稲造はキリスト教信者だった為、ふと疑問に思ったという。
色々考えて辿り着いたのが、『武士道』が日本人の礎になっている。
ということでした。
その武士道の中で、個性についての記載があります。
『個性、それ即ち孤高の精神。』
『迎合しない精神が個性。』
個性とは、孤高の精神かつ、迎合しないものと説かれています。
個性は他人から評価、判断されるものではなく、自分だけの精神、自分自身を認めている様です。
自尊心に近いですかね。
そして迎合しないという意味は、
『自分が自分自身であることに誇りを持っている。』
ということです。
比較によっての満足や幸せは幻想でしかなく、物質的欲求を加速させます。
ビジネスにおいても“比較”は大事な要素と思われていますが、本当に世を動かしているビジネスマン達は、比較はそこまで参考にならない。それどころか危ない思想とまで言ってる方達もいます。
個性は比較の上にはなく、自分自身の中にのみ存在するあなただけの『孤高の精神』です。
現代社会において個性の芽は常に摘み取られています。
仕事、家庭、様々な状況で役割を演じる事で、自分自身であることや、自分自身で感じる事を放棄しています。
本当に大事なのは自由であることで、自由でいることは、ありのままの自分自身でいること、即ち個性なのです。
ではでは~